翻訳と辞書
Words near each other
・ スヴェレ・シグルツソン
・ スヴェレ・ステネルセン
・ スヴェレ・フェーン
・ スヴェレ・ブローダール
・ スヴェレ・マグヌス
・ スヴェレート
・ スヴェン
・ スヴェン1世
・ スヴェン1世 (デンマーク王)
・ スヴェン1世ハラルドソン
スヴェン3世 (デンマーク王)
・ スヴェンガーリ
・ スヴェンスカ・クッペン
・ スヴェンスカ・ダーグブラーデット
・ スヴェンスクフーセットの悲劇
・ スヴェンスク島
・ スヴェンセン
・ スヴェンセン・ワンのアルゴリズム
・ スヴェンゼン
・ スヴェンソン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

スヴェン3世 (デンマーク王) : ミニ英和和英辞書
スヴェン3世 (デンマーク王)[すう゛ぇん3せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

スヴェン3世 (デンマーク王) : ウィキペディア日本語版
スヴェン3世 (デンマーク王)[すう゛ぇん3せい]

スヴェン3世(Sven III, 1125年 - 1157年10月23日)は、デンマーク王(在位:1146年 - 1157年)。エーリク2世の庶子。王位を巡って又従弟クヌーズ5世と内乱を起こしたが、最終的に従弟のヴァルデマー1世に敗れて王位を奪われた。
1137年に父が地方貴族に殺害されると、王位は従兄のエーリク3世が継承、スヴェンはドイツへ逃れた。1146年にエーリク3世が退位するとシェラン島の有力貴族に擁立されて即位したが、クヌーズ5世もユトランド半島で即位、内戦が発生した。内戦は従弟のヴァルデマー(後のヴァルデマー1世)と手を組んだスヴェン3世が優勢で、クヌーズ5世を擁立したルンド大司教エスキルもスコーネボーンホルム島にある土地の保有を条件に寝返り、クヌーズ5世は孤立していった。両者はヴェンド十字軍で共に参戦したが、十字軍が解散すると再度対立していった。
1150年頃にヴァルデマーをシュレースヴィヒ公に封じ、クヌーズ5世を助けていたホルシュタイン伯アドルフ2世と戦った。1150年にクヌーズ5世を追放したが翌1151年に復帰、スヴェン3世はドイツ王コンラート3世の支援を求め、1152年にコンラート3世の後を継いだフリードリヒ1世に忠誠を誓い、王号を認められた。
しかし、1154年にクヌーズ5世と彼に寝返ったヴァルデマーの反撃に遭い、ドイツへ亡命、3年を過ごした。1157年にザクセン公兼バイエルンハインリヒ獅子公の援助でデンマークへ帰国、クヌーズ5世及びヴァルデマーと和睦、デンマークを共同統治することに決めて、スヴェン3世はスコーネを統治することに合意した。8月9日ロスキレで祝宴を開き、そこでクヌーズ5世を殺したが、ヴァルデマーと側近のアブサロンはユトランド半島へ逃亡、軍勢を率いて反撃、10月23日にグラーテ・ヘーゼの戦いで敗れて逃亡しようとしたが、泥に馬の足を捕られて落馬、農民達に殺された。デンマークはヴァルデマー1世の単独統治となり、内乱は終結した。
== 子女 ==
1152年マイセン辺境伯コンラート1世の娘アーデラと結婚、2人の子を儲けた。
*息子 - 夭折
*ルートガルド - イストリア辺境伯ベルトルト1世と結婚




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スヴェン3世 (デンマーク王)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.